気を感知する望診法の真実


古代に存在した「望診法」は

ダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

 

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

 

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

 

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

 

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

 

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

 

四診合算という言葉があります。

 

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

 

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

 

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

 

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

 

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

 

気も経絡も存在しなかったという事実

鍼灸師になって最初の目標は経絡と経穴を自在に操り、人体の気をコントロールすることでした。

 

東洋医学を学べば、それができると信じていたんです。

 

現実にはそんなことは無理だと知ったのは鍼灸学校に入って半年もかかりませんでした。

 

まず、「気」の定義が無いのです。

 

いや、あるよ。と言われる方もいるでしょうか。

 

それはその流派?の中でだけ通用する定義であって、外にいくと通用しない。

 

世界共通の定義は、ないんです。

 

それどころか、気も経絡もあるのか、ないのかすら証明できていない!

 

経絡治療の先生に質問したことがあります。

 

「先生は気や経絡を実感されているんですか?どうやったらそれを証明できますか?」

 

先生の答えは、

「あるという証明はできない。ただ、あると信じなければ経絡治療は成り立たないよ」

 

それが先生の答えでした。

 

それどころか、経絡は「無い」と言い切る先生もいる始末。

 

信じるって、それはもう科学でも学術的思考でもなく、単なる宗教じゃないですか。

 

それが鍼灸の現実なんだと、知らされました。

 

でもあきらめきれない。

 

そこからです。

 

鍼灸、気と経絡の探求を改めてしようと思ったのは。

 

ただ、みなさんにも正しく知って欲しいのですが、現時点でも誰も気と経絡の存在を証明も定義もできていません。

 

これは紛れもない事実です。

 

まずはその事実を認識しない限り、経絡宗教からは脱することはできないと思います。

 

 

古流整体に伝承される「見の技法」

まずは気を扱う気功やヨガ、静座法、武道などを探求して回りました。

 

結論から言いますと、やはり気の定義がそれぞれバラバラです。

 

そしてどうも武道でいう気と、鍼灸医学で言う気とは違うもののようでした。

 

その辺りのことは割愛させていただきますが、それでも一つ大きな収穫がありました。

 

武道を通じて知り合った古流整体の先生が施術中にこう言われたです。

 

「気が通っていないと、本当の整復はできないね」

 

えっいきなり気のお話ですか?

 

それまで、なんの関係もないと思っていた整体の先生でしたが、急に興味が湧いてきました。

 

そこで教えていただいたのが「見の技法」です。

 

これはその後の気を見る望診法につながる技術でした。

 

残念ながら「見の技法」で見ているのは気ではなく、体の歪みや筋肉の強張りでしたが、その考え方は気を見る望診法と根本は同じです。

 

さて、「見の技法」とはなにか?

 

それは姿見検査(立位、座位、仰臥位、伏臥位)において、見ることで体の歪み、矯正の要所となるポイントを見分ける技術です。

 

見の技術ではこのように感知されます

 

 

そこで見えるのは鍼灸でいうところの経筋です。

 

ですが、これも視力で見えているのではなく五感以外のなにかで感じ取っているのです。

 

そして、この違和感が消えない限り、施術がうまくいったとは言えないということです。

 

もちろん私も練習し、ある程度感知できるようになりました。

 

ただ、これはこれで、感知できるようになったことは嬉しかったのですが、これがのちのち気滞の望診の練習のときには気よりも経筋のほうを強く感知してしまうという癖がなかなか抜けず、苦労することになるのですがそれは後の話。

 

患者の体が輝いて見える全盲の鍼灸師

鍼灸学校を卒業したあとの話ですが、とある経絡治療団体宮城県の支部長をされていた先生の施術を見学する機会がありました。

 

赤門鍼灸は仙台市にありましたので、じつは学生の頃からその先生の存在を知ってはいたのですが、機会がなかったのです。

 

その先生は全盲の方です。

 

ところが、施術がうまくいくと患者の体が輝いて見えるというのです。

 

もちろん視力でみているわけではありません。

 

おそらくその先生も視力ではない、五感以外のなにか、を使って感じ取っていたのでしょう。

 

全身が輝いて見えるというのは比喩でしょうけれども、そう感じたのは事実ですから。

 

私の中では先の整体の先生、今度の全盲の鍼灸の先生の実体験を通じて、視力ではない、五感以外のなにかで患者の体の違和感(それが気かどうかはまだわかりませんが)を感じ取る技術は確かにあるのだ、と思いました。

 

気や経絡が存在するかどうかはまだ証明できませんが、

 

それらに準ずる「何か」があり、それを消すことで症状が改善する、そしてそれが再現性があるのであれば、学術論法によってなんらかのシステム(経絡システム)が存在することが仮定される。

 

私はまったくの手探り状態のなかで、たった一つの手がかりを見つけたような気になり、ひとり喜んでいました。

 

そのすぐ後です。

 

気や経絡をダイレクトに感知できるという医師の存在を知ったのは。

 

その医師は鹿児島で個人医院を開業されているという外科医でした。

 

 

気滞が見えるという医師がいる?まじで!

その先生の話を聞き、さっそく連絡をとって見学させていただきました。初の鹿児島、季節は真夏!日差しが肌に突き刺さるようでした。

 

先生の診察方法はとんでもなく変わっています。

 

まず患者を立位で望診(立位がとれない方はベッドで)します。

 

そして気滞を感知し、その気滞を消去する治療法を選択するんです。

 

ときに鍼灸、ときに漢方、西洋薬剤を使うこともあり、まさに自由自在。

 

最初、かなり奇異に見えた診察方法でしたが、これが本当の望診の世界なんじゃないかと直感的に思いました。

 

どんな風に見えるのか?

 

それは五感以外の原初感覚を用いて感知する世界なので、図に示すことは難しいのですが、あえて図に表すとこんな感じです。

 

 

私には驚きの世界です。

 

医師や鍼灸師を中心とした勉強会があるということで、さっそく参加させていただきました。

 

そこで学んだことは、

 

人体はなんらかの傷病を患うと、それを治癒するための情報として気滞を発生させる
経穴はその気滞を消す情報として、活性化する。したがって平常時は経穴は不活性のものであって働いていない
気滞を消去する方法は経穴のみによらず、漢方や整体でも可能である

 

などなど、たくさんありすぎて私はパニック状態でしたが、とにかく私は望診法の入り口に立つことができたのです。

 

それはなににも勝る喜びでした。

 

3人の経絡否定派

ところで、ここでもう一人の鍼灸の先生をご紹介させてください。

 

その先生は経絡を完全否定される先生で、星状神経節刺鍼法の研究で有名な先生です。

 

経絡の存在を否定する立場におられましたが、では経絡のことを勉強しなかったのかというと、そうではないのです。

 

東洋医学、経絡治療を学びそれを実践してみた結果、経絡学説は科学的に信頼できない、と結論づけられたのです。

 

そして、鍼灸の治効理論を別な方向から探ろうとされていました。

 

じつは、そういった姿勢は先の患者が輝いて見える全盲の鍼灸師、鹿児島の外科医のお二人と共通しているのです。

 

この3人の先生はそれぞれ独特なアプローチ法をとられていますが、経絡の勉強を徹底してやった結果、既存の経絡説を信用できないと否定し、独自の研究をされているというという点では同じなのです。

 

鹿児島の医師の書庫を見せていただいたことがあります。

 

そこには信じられないくらいの量の東洋医学関連の文献が山積みにされていました。

 

ここまで勉強し、実践し、その結果経絡を盲目的に信じるという行為に疑問をもち、独自研究をおこなった勇敢な研究者です。

 

一人は純粋に既存科学からアプローチし、

 

一人は自己の感覚を磨き、

 

一人は新たな気と経絡の仮説を打ち立てました。

 

私はいま、その恩恵にあずかっているだけです。

 

気と経絡はどうやって発見されたのか?

※以下は仮説です

 

気はもともと人本来がもっている原初感覚によって感知されていた、というものです。

 

気の世界というものがあるのなら、人に現れる経絡や経穴は「気の現象」のひとつであり、

当然、それがすべてではありません。

 

だから、武術の気と鍼灸の気は違っていて当然であり、

気が見せる顔には様々なものがある、ということです。

 

とするなら、ときどき気を感覚化している人が存在するのも納得ができます。

 

もともと人が持っていた原初感覚によって感知してるので、

なんらかの訓練をしたわけでもなく、また、

その人にしかできない特殊な能力を身に着けているわけでもないからです。

 

その感覚をもとにして発見されたのが気と経絡であるのなら、

東洋医学は単なる経験医学ではないということになります。

 

気や経絡が生命現象の一つであるなら、それは同じ生命を持つヒトにしか感知できません。

 

では、そのような能力がなぜ継承されなかったのか、

しなかったのではなく、できなかったのだと思われます。

 

それは次のような理由ではないでしょうか。

 

達人と弟子

五感で感じ取れる見える世界を現象界と言います。対して、見えない世界のことを潜象界といいます。

 

潜象界がイコール気の世界となるのかどうかは分かりませんが、

私は武道や気功、さまざまな気を扱う流派でそれぞれ定義されている「気」を包括しているものと考えています。

 

ただ、見えない世界の動きは数値にも表すことができませんから、

その情報を他人と共有することができないのです。

 

過去、多くの達人技をその弟子が伝承できなかったのは、そういう理由によるのだと思います。

 

達人もその「気」の世界のことを伝える術がありませんでした。

 

五感以外の原初感覚で感知するほかない気のことを言葉では表現しきれず、

弟子の習熟度にあわせて例え話をする以外に方法がありません。

 

よく達人と弟子の会話で、弟子が奥義を問うと、師匠はただ円を示しただけだとかいう話が逸話として残っていますが、そこに描かれた円には、その時のその弟子以外には、なんの意味もありません。

 

例え話にすぎないのです。

 

ですが、その例え話や逸話がいつの間にか独り歩きするようになります。

 

そして、その例え話が様々に組み合わされて、不思議な話が作り出されて行きます。

 

すると、それはもう例え話でもなんでもなく、単なる空理空論でしかありません。

 

それが、東洋医学の世界でも起きているのです。

 

経絡の迷路はもう出口が見つからない

※以下は一つの仮説です

 

そもそも気も経絡もその存在は五感では捉えられないものです。

 

ですから、原初感覚で気を感覚化できた者にしか、気を実感としてわからず、

使いこなすこともできませんでした。

 

しかし、経絡の出現には一定のパターンがあり、またその出現頻度もある程度の確率がありました。

 

そこで、それらの出現ポイントを示し(=経穴)、それらを結んだライン(=経絡)が描かれました。

 

そして、こういった症状ならこのポイント(経穴)をという指示も残されたのでしょう。

 

胃の症状なら足三里、肝虚と名付けられた一連の症状なら太衝などというように。

 

そこまでなら、経験医療として成立するかもしれません。

 

しかし、古代の学者はそこに理論をつくります。

それが積み重なって経絡学説が形作られて行きます。

 

ですが、気を感覚として捉えらえれないものにとっても、また原初感覚によって気を捉えられるものにとっても、

気の世界のことを言語化するのは非常に難しい作業だったのです。

 

先の達人と同じです。

 

だから同じ現象を説明しても、人によって違う表現をします。

が、気が見えないものにとってはそれが同一の現象を表現したものだとは分かりません。

 

だから、同じことなのに、まったく別な現象として取り扱われてしまいます。

それが数十年、数百年のちになると、もう訳が分かりません。

 

そして、それらの矛盾を埋めるために新たな仮説が考え出されます。

つまり、仮説と仮説を組み合わせて、まったくの空論を生み出すことになったのです。

 

これが、中医学の経絡迷路です。

 

こうなってくると、どれが本当だったのか、どれが同じ現象を表現した仮説だったのか、

もう分かりません。

 

過去の文献が正しいかどうかは、もはやいくら文字を追ってもわかりません。

 

自分が気の感知能力を修得して一つ一つ検証していくしかないのです。

 

 

気を感知することで激変する世界観

 

 

 

気とは観察者によって見せる姿が違う!

 

 

 

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管理者プロフィール

こんにちは。Katuki Reikoと申します。

年齢は言えませんが、鍼灸師歴40年になります(笑)

私は赤門鍼灸専門学校を卒業後、ある経絡治療団体の学術部長を経験させていただき、その後、気と経絡の研究会で代表(三代目)を務めさせていただきました。

2018年秋にそろそろ引退?しようかな~と考えています。

さて、望診法とは顔の色や皮膚の状態を見て判断する視診とは少し違うものです。

本来の望診法は気と経絡をダイレクトに感知する技術なのです。

そのことを一人でも多くの方に伝えたいと願っております。

このサイトがあなたのお役にたてますように。

REiko

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