気と経絡2


我々の環境は変えられない、同じ空間の中で、太陽の光と空気に包まれて生きています。

 

ですが、その環境の認識の仕方は人それぞれで違う、というのが現在の生物学の考えです。

 

ところで、客観的な観察を行なっていると言える行為はすべて、観察する個人の意識と分けて考えることは難しいという考え方があります。

 

その行為は直接的には個人の外側では決して起きることはありませんし、また個人の領域を超えることも、外側にある現実の領域を把握することも全くできないという考え方です。

 

つまり観察の主体である観察者は、観察の対象から独立して存在できないということです。

 

これは直接目の前にある現実の経験が自己に内在するものではないとしたら、人はそれを認識することはできないということです。

すると、気や経絡に関しても同じことが言えると思います。

 

簡単に言えば、自身が気や経絡を何らかの方法で、実感することがまず必要ということです。問題はその方法なのです。

 

しかし、それができれば、気の正体がなになのかはともかく、自己の身体外の気や経絡の観察(感知)も可能になるはずです。

 

ところで経絡を感知するということとは別の目的で、私が取り組んできた事の一つに体の重心線と中心線を意識化し、動き(日常、非日常の不安定な動きを含める)の中で使いこなす、というテーマがありました。その方法としては主に武道、古武道の稽古を参考にしておりました。

 

このテーマへの取り組みは当初の目的とは別に私自身の内部感覚を敏感にすると同時に他者に対して、以前とは別のある種の違和感を生じるようになりました。

 

違和感の感じ方は個々によって若干異なりますが、大抵は体のある部分が「気にかかる」という形で現れます。

 

その違和感が存在する部位は通常の四診によって得られる情報から導き出される異常(変動)経絡と一致している例が多いことに気がつきました。

 

この感覚は後日、気や経絡を感知しているのではないということが判明しました。これはまだ「気」と呼べるレベルのものではなく、経筋など物理的な器官を感知しているものと思われます。

 

これはどういうことかと言いますと、例えばどのような芸事であれ、ある程度のレベルに達した場合、同門の他の方のレベルや好、不調がある程度、見ただけでも、瞬間的に判断できるということに近いかと思います。

 

その時の判断というのは、自己の中にその芸事の情報技術を意識を含めた全身で把握しているからこそできるわけであり、体全体で感じ取ることができるのだと思います。

 

つまり自分の中に重心線や中心線が意識化できれば、他人の重心線や中心線のズレなどを鋭敏に察知できるということです。

「気」にも同じことが言えるのではないでしょうか。

 

もちろん、中心線と気とは違うのもですからこれによって「気」や経絡が実感できるとは言えませんが、この方向性で練習を進めれば、経絡を実感できるその一端が開かれるのではないかと期待しております。

 

さて、ここで大切なことは五感で感じるのではなく、体全体で感じる必要があるということです。


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管理者プロフィール

こんにちは。Katuki Reikoと申します。

年齢は言えませんが、鍼灸師歴40年になります(笑)

私は赤門鍼灸専門学校を卒業後、ある経絡治療団体の学術部長を経験させていただき、その後、気と経絡の研究会で代表(三代目)を務めさせていただきました。

2018年秋にそろそろ引退?しようかな~と考えています。

さて、望診法とは顔の色や皮膚の状態を見て判断する視診とは少し違うものです。

本来の望診法は気と経絡をダイレクトに感知する技術なのです。

そのことを一人でも多くの方に伝えたいと願っております。

このサイトがあなたのお役にたてますように。

REiko

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